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料理研究家 田中愛子さんの“ 食 ”のエッセイ

愛子さんの大阪の暮らし

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暮らしの中の木綿

大阪の暮らしの中では、始末なのは食べ物だけではなく、生地や反物、晒し木綿など「衣」にも始末の良い使い方をしていました。
5月になれば、天気の良い日に「布団の打ち返し」を家中でしたものでした。ぺちゃんこになった綿を陽に当ててふんわりさせ、新しい綿を加えて布団をつくりなおすのです。明るい日差しの中で母に寄り添って、太い大きなふとん針で綿を詰めた布団の端に一針、一針刺していくのは何だかうれしいものでした。梅雨の前には、家の中で着物の虫干し、夏には、着物をほどいて洗った布をしんし張りをして裏庭に張り巡らせます。夏の風が通り抜けるその下を妹と走り回ったものでした。
大家族で暮らす私の実家では、薮入り(お盆のお休み)と暮れのお休み前に手渡される新しい下着と着物を家で働く人たちは楽しみしていました。その時くらいしか、新品の衣類を手にする事はなかったからでしょう。夜の針仕事は大切な時間。繕いものやら、着古した浴衣などは赤ちゃんのおむつになります。私の長女の時は、母がせっせと作ってくれました。
そして、台所では 薄手の晒し木綿で作られた布巾が大活躍。白い晒し木綿は一反買いして家の常備品。下着や帯の芯、包帯代わりになったり、収納の時の漆器などを包んだり、と大活躍。そして、適宜切って台所の布巾にも使います。日本料理ではこの布巾が無ければきりっと仕上がりませんが、外国の厚めのクロスが主流で今の日本ではなかなか見つかりにくい。ちょっと目線を変えると、それほど日本の家庭料理が日本の家庭から姿を失くしていっているということなのかもしれない。
出汁を濾すとき、茶巾包み、きゅうりもみ、ばってらや棒寿司には欠かせない、せいろ蒸しの時や熱々ご飯をお櫃にうつしかえるときも、蓋から雫がたれないようにふきんかぶせたり、お膳に蒸した芋やおやつにはきれいに洗った布巾がかけられます。
女の仕事はてまめに布巾を洗っては干すこと。ふきんと雑巾の使い方もくっきりと分けられて日常の暮らしの中にけじめがつけられていました。
南河内の主人の実家では、この晒し木綿で袋を作り、口のところに麻糸を通してくくれるようにした小さな7cm四方くらいの「茶袋(ちゃんぶくろ)」を作り、そこに「粉茶」-お茶を炒った時にでるお茶の粉- を入れて、大きめのお鍋に洗い米をいれ、たっぷりのお水を注ぎ、そこにちゃんぶくろを入れて、20~30分コトコト煮ると「茶粥」の出来上がり。ごはんから作る茶粥を「入れ粥」と言い、出来上がる風味も違うので義父も義母も嫌がりました。
茶粥は、もともと米の始末のために考えられたもの。京都、河内、奈良、和歌山まで広がっている食習慣。ずるずる茶粥をすすりながら、おこうこをバリバリ食べるのが河内の食卓。台所には、茶の色が染み付いたちゃんぶくろが干されていました。

河内は木綿ところ

家の古い箱から出てきた実家の「法被(はっぴ)」。筒袖、腰丈くらいの長さで、黒い綿の生地で作られたはっぴ。シャキっとした手触り、黒色の染めがいい、着心地がよさげな仕立て。
その箱から見つけた、祝い事の玄関の幕、お花見用なのか桜の花が一面に描かれた長ーい幕も、肌触りの違う木綿で出来ています。明治以降、日本の木綿産業は輸入品に押されて、壊滅状態になりましたから、これらのものは戦後作られたものでしょか。
7世紀に綿は日本に伝来し、戦国時代に全国に生産地を広げたようです。江戸時代、大阪では河内、柏原、泉州と盛んに生産され、特に河内木綿は全国的に人気で、その糸の丈夫なこと、品質の良さで嫁入り道具は、「河内木綿」でないとと言われていました。
恩地街道と東高野街道の交差点に恩地神社があり、その道の向かいにある 「山根木(やまんねち)木綿問屋」の萩原さん宅がある。江戸時代5回にわたる倹約令が出され、庶民は木綿しかきれないということになり、色も藍色、茶色、鼠色と決められた中で、白生地で織られた反物を街道から、大和川を渡り、四国徳島へ、また一方滋賀へ出荷し、染めを施して市場に出されていったのです。その大問屋の萩原さん宅の立派な家構えを見ただけで、いかなるものであったか、交差する街道に荷車が行き交い、河内の農地の7割が木棉畑だったのもうなづけるほどの活況ぶりだったようです。大大阪と言われた頃、大きな木棉の暖簾をかけた店先で座っている番頭さんも、外で箒を持ってる丁稚さんも、若い女中さんの着物も前掛けも藍木棉。庶民の日常には欠かせない木棉は河内など周辺村に支えられてきたのです。
温厚な笑顔の萩原さんが「もうこんな大きな家大変で、潰して売ろかと思いましたが、周りの方々がみんなでなんとかしようというてくれはりまして、人の集まれる場所にしようと思っています」と語られ、「茶吉庵」と名付けて再改築に挑まれています。恩地あたりも「茶粥」で育っているとか、「茶粥のお店はどうかしら?」と私がいうと「それもよろしなぁ」と笑って返事されました。外の風は冷たくても、日差しは春めいている明るい座敷でゆるり流れていくひとときに心和む午後でした。今回は河内の家庭料理美味しい茶粥にさつまいもを一緒に炊く「芋粥」をご紹介しましょう。

芋 粥
  • 【材料】(4人分)
    1合
    4カップ
    さつまいも 1本
    ほうじ茶または玄米茶 大さじ2〜3
  • 【作り方】
    1. さつまいもは2cm位の輪切りにする。ほうじ茶または玄米茶の葉は茶袋に入れておく。
    2. 鍋にといだ米と水、茶袋、さつまいもを入れて火にかける。
    3. 沸騰したら中火にして約20分ほど炊く。米がやわらかくなったらできあがり。
写真 宮本 進
デザイン 田中 稔之

INDEX

Aiko Tanaka田中 愛子(たなかあいこ)プロフィール

  • 大阪樟蔭女子大学教授
  • 世界家庭料理家
  • エッセイスト
  • 食育ハーブガーデン協会理事長
  • 日本料理国際化協会理事長

1949年 大阪西区に生まれる。
大阪樟蔭女子大学英米文学科在学中にお見合い結婚、一男一女に恵まれる。家事のかたわら、料理家吉岡昭子氏に師事、家庭料理の基礎を学ぶ。
1987年夫裕氏がニューヨーク五番街で高級和食店をオープン。以後、世界の各地、イタリア、オーストリア、香港、韓国など事業の展開と共に、多くのパーティーコーディネートを携わり研鑽を積む。
海外生活で見聞を広げ、その成果を2001年「グッドギャザリンク フロム ニューヨーク」文化出版社刊 にまとめ、以後 料理家としてテレビ、雑誌、取材などに活躍の場を広げる。
「次世代の子供たちや、地球のために今できること・・食卓の上のフィロソフィー」を理念に、食育活動に力を注ぎ、現在150施設で実施している。
また、ニューヨーク以来のテーマ「日本料理を世界へ広げる」活動も年々充実。海外で「日本料理」のセミナーや講演など人気を呼ぶ。
日本で「フードスタディー」の第一人者であり、これからの地球のために、持続可能な「食」のあり方を提案し続けている。
最近の著書「食卓の上のフィロソフィー」旭屋出版刊 は今、話題の一冊である。
著書「おいしい たのしい グッドギャザリング フロム ニューヨーク」文化出版局刊、「和食のギャザリング」 旭屋書店刊、「I miss you! もう一度会いたい」 など多数

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