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第14話 継体天皇けいたいてんのう(生年不詳-531年)

淀川水系に誕生した謎の大王

継体天皇は崩御後の諡号(しごう)で、男大迹王(おほどのおおきみ)と呼ばれていた。日本書紀によれば、父の彦主人王(ひこうしおう)は近江国高島郡三尾野(現在の滋賀県高島市あたり)を本拠にした地方豪族であったが、幼くして父を亡くしたため、母の振媛(ふるひめ)の故郷である越前国高向(現在の福井県坂井市丸岡町あたり)で育てられ、長じて5世紀末の越前地方を統治していた。

507年に崩御した武烈天皇に跡継ぎがいなかったため、大伴金村(おおとものかなむら)らが協議し、まずは丹波国にいた仲哀天皇五世の孫である倭彦王(やまとひこおおきみ)を抜擢。しかし倭彦王は迎えの兵士を見て、自分を討伐にやってきたと勘違いし、姿をくらましてしまった。そこで次に、越前にいた応神天皇五世の孫にあたる男大迹王を推挙した。最初は男大迹王も金村らに対して疑いをもっていたため、河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)に使いを出して確かめたところ本意だということが分かり、即位を決意した。

河内国交野郡にあった樟葉宮(大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社付近が伝承地)で第26代天皇に即位するが、この時、男大迹王はすでに57歳だった。さらに金村の助言により、仁賢天皇の皇女で武烈天皇の妹である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后にする。

512年、朝鮮半島の高句麗や百済の勢力が伸び、神功皇后の新羅征討によって得た任那四県に対して、百済の割譲要求を飲まざるを得ない状況になる。527年、筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)の乱が勃発。磐井は朝鮮半島との交易を通じて勢力を広め、新羅に兵を送ろうとする朝廷に対して進路を妨害しようとしたが、継体天皇は物部麁鹿火(もののべのあらかい)を九州に遣わしこれを制圧した。

継体天皇は樟葉宮での即位後、山城国筒城宮、弟国宮を経て20年後にようやく大和の磐余玉穂(いわれのたまほ)宮に遷り、大和入りを果たした。しかし、その5年後、82歳で崩御。日本書紀には三島藍野陵(みしまあいののみささぎ)(現 茨木市大田茶臼山古墳)に葬られたとされている。


謎の大王と呼ばれるわけ

古墳時代を語るとき、継体天皇が謎の大王と呼ばれる最大の理由は、応神天皇五世の孫とされている点である。5世代も離れると疎遠すぎて皇統の継承性が疑われ、全く新しい王統といっても差し支えないとする説も多い。別の言い方をすると、今上天皇まで連綿として続いてきたとされる皇統は、実は継体天皇から発しているかもしれないということである。


フィールドノート

誕生の地・近江高島の遺跡群

継体天皇の誕生の地とされる滋賀県高島市三尾野には、数多くの遺跡や伝承が残されている。そこでJR湖西線安曇川(あどがわ)駅を起点に、まずは三重生(みおう)神社を訪ねた。境内には本殿と左右に小さな社が並び、参道の中ほどに立派な石碑があって神社の縁起と継体天皇の父母・彦主人王と振媛の名が祭神として刻まれている。


三重生神社から西へ道路の右側の山道に少し入ったところに、石の柵に囲われた三尾神社旧跡碑と「安産もたれ石」が並んでいる。安産もたれ石は母の振媛が出産時にもたれかかったという石で、今でもこの地では妊婦が石を撫でた手でお腹をさすっては安産を願う風習が残っているという。途中で道を尋ねた地元の女性にそのことを聞いてみたが、「さあ、どうだかね…」と笑い飛ばしていた。


さらに山道を登っていくと、彦主人王御陵(ひこうしおうごりょう:地元では王塚(おうづか)古墳と呼んでいる)が静かに控えていた。帆立貝式の古墳で彦主人王の墓とされ、現在、安曇陵墓参考地として宮内庁で管理されている。


ここで一旦安曇川駅に戻り湖西線にそって南に進むと、継体天皇の皇子で第27代安閑天皇を祀る安閑神社、さらに南西へ5分ほど歩くと道路右手に「胞衣塚(えなづか)」という円墳状の小さな塚があり、振媛がへその緒を埋めたという伝承が残る。


鴨川に架かる「天皇橋」を渡ると、鴨稲荷山(かもいなりやま)古墳が右手に見える。この古墳は未盗掘の前方後円墳で、後円部に横穴式石室が設けられ、家形石棺が納められていた。石棺の中からは、金銅製の宝冠、飾り靴、金製の耳飾りなどの副葬品が出ており、被葬者はこの地を治めた首長の一人と見られている。鴨稲荷山古墳の出土品(レプリカを含む)は、古墳近くにある高島歴史民俗資料館に展示されている。


継体天皇が当地で過ごしたのは生後わずか10年。にもかかわらずこの地に数多くの関連遺跡や伝承が残っているのは驚きである。これも地方豪族として、他の地域の豪族に劣らない一大勢力を有した父・彦主人王の存在がいかに大きかったかを示すものであろう。後の天皇即位のバックグランドとしてその威力を大いに発揮したにちがいない。


即位の地「樟葉宮」から遷都先の旧跡へ

継体天皇は60才近くになってヤマト政権をあずかることになる。即位に至る経緯や度重なる遷都から、政権内部で微妙な力関係が作用していたであろうことは想像に難くない。継体天皇の即位とその後の足跡を追ってみた。

枚方市の樟葉中学北側の深い森に交野天神社がある。神社の表示に従って登っていくと、階段の踊場に「此付近継体天皇樟葉宮地」の石碑があり、その先の貴船神社には「史跡 継体天皇樟葉宮伝承地」の石碑が建つ。この樟葉宮こそ、淀川水系初の古代政権誕生の地となった場所である。継体天皇は眼下に流れる淀川を見て、「この流れは近淡海(ちかつあわうみ=琵琶湖の古称)や越前に繋がっている。ここは50年近くを過ごした越前と一衣帯水の地ではないか」と勇気を奮い起こしたのかもしれない。


樟葉宮で即位して4年後の511年、山城の筒城宮(つつきのみや)に皇居を遷す。その旧跡は同志社大学の広大な京田辺キャンパス(京都府京田辺市)の中にある。校門からすぐ右手の小山を上がっていくと、「継體天皇皇居故趾」碑と「筒城宮趾」碑が建っている。この城宮跡から東に3kmほどのところに木津川が大山崎の淀川合流地点に向かって北西に流れており、樟葉宮と同じく、遷都先に淀川水系の地を選んだことをうかがわせるに十分である。


さらにそれから7年後、継体天皇は筒城宮から北東の弟国宮(おとくにのみや)へ遷ったとされる。しかし弟国宮の旧跡は現在確定されておらず、おそらく乙訓寺(京都府長岡京市)周辺あたりではないかといわれている。この場所は西には大山崎の山々が連なり、そしてここでも東に淀川の支流桂川が流れている。


「長岡京」は、784年桓武天皇が平城京からこの地に遷都して造営された都。長岡京の北東にはこの桂川と宇治川そして木津川の三つが合流して淀川になる地点があり、古代「山崎津」が設けられたという。物資を運ぶのに陸路に頼らざるを得ない平城京のネックを解消すべく遷都したともいわれ、継体天皇から3世紀近くを経て、瀬戸内海と都を結ぶ淀川水系の水運はますます重要な役割を果たしていたことを意味する。

樟葉宮での即位、筒城宮そして弟国宮へと遷都を重ねながらも、継体天皇は琵琶湖、淀川水系沿岸の有力豪族のバックアップに加え、淀川水系と瀬戸内海へつながる水運を背景に政権を強化していったといえるであろう。


ヤマト政権の中枢だった磐余玉穂宮旧跡

樟葉宮で即位してから20年、2度の遷都を経ていよいよ継体政権は大和の磐余玉穂宮に遷る。現在の桜井市の磐余の地は、多くの天皇がこの地を都と定めたまさにヤマト政権の中心地である。集落に入ると、正面の小高い森があり、稚桜(わかざくら)神社」の石柱と鳥居が見える。第16代仁徳天皇の皇太子であった履中天皇は、ここ磐余稚桜宮で即位した。神社の階段を上がり、木の間から西南方向の丘陵状に林が見えるあたりが継体天皇の4つ目の都、磐余玉穂宮の伝承地とされているようだ。

継体天皇が、水運の権力を掌中に握っていた淀川水系から離れ、ヤマト政権の中枢地に本拠を遷しえたのは、ここヤマトの地で生まれた手白香皇女と皇女に近しい皇族が、継体天皇を後押しする強力な後ろ盾となったことにあると思われる。継体天皇はここに至って、名実ともにヤマト政権を掌握することになる。


今城塚古墳と三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)

淀川右岸、北摂山地の丘陵部一帯には三島古墳群が広がり、その数は500基以上にのぼる。前方後円墳の今城塚古墳はそのうちの一つで、今や定説となった継体天皇の真の墓とされる。この古墳を中心に高槻市が運営・管理する古墳公園「いましろ 大王の杜」は、この種の公園として日本最大規模である。とくに目を引くのは、北東面の埴輪祭祀広場。三つのゾーンに分けて家、太刀、盾、人物、動物など200体以上の実物大の埴輪のレプリカが並んでいる。当時の祭祀の様子を詳細に再現しているのは日本ではここだけだという。

古墳公園から古墳の内濠と外濠を結ぶトンネルをくぐり、「今城塚古代歴史館」に入る。大王墓の葬送儀礼の展示スペースでは、三つの石棺のレプリカが並べられている。整備された環境と様々な施設を兼ね備えたこの古墳公園は、日本で唯一足を踏み入れることのできる天皇陵であるとされる。

日本書紀に記載され宮内庁が継体天皇の陵墓として管理する「三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)」は、今城塚古墳からそう遠くない場所にある。この古墳からは円筒埴輪のほかに馬形埴輪や甲冑型埴輪などが出土しているが、いずれも5世紀中頃のもので継体天皇の没年とされる6世紀前半とは合致せず、継体天皇と何らかの関係があった豪族の墓とする説が有力である。


また、太田茶臼山古墳や今城塚古墳をはじめとする三島古墳群から出土した埴輪は、5世紀中頃から6世紀中頃まで新池埴輪製作遺跡(大阪府高槻市)で生産されたものだという。その遺跡が、現在は「史跡椎池ハニワ工場公園」として整備され、大型埴輪工房、埴輪窯を復元、当時の大規模な作業場の様子をリアルに伝えている。

一方、継体天皇が天皇に即位するまで男大迹大王として過ごした福井県・越前地方に目を向けると、そこには数多くの事績や足跡が残っている。それらを鑑みれば、武烈天皇崩御、皇統の断絶というヤマト政権の危機にあって、九頭竜川、足羽川、日野川という越前の三大河川を制し、人心を掌握した実績を背景に、河川環境のよく似た河内国淀川水系の地に即位した継体天皇こそ、余人をもって代えがたい最高最良の適任者であったのかもしれない。

2016年4月
(2018年1月改訂)

長谷川俊彦



≪参考文献≫
 ・高槻市教育委員会編『継体天皇と今城塚古墳』、『継体天皇の時代』
 ・大阪府史編集専門委員会『大阪府史』
 ・水谷千秋『謎の大王継体天皇』(文春新書)
 ・白石太一郎『古墳とヤマト政権』(文春新書)
 ・吉村武彦『ヤマト王権』(岩波新書)
 ・岡谷公二『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社新書)



≪施設情報≫
○ 三重生神社
   滋賀県高島市安曇川町常盤木1239
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        古賀線・朽木線バスで約5分「三重生」下車すぐ

○ 安産もたれ石
   滋賀県高島市安曇川町田中
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        横山・田中線バスで約5分「馬場」下車、徒歩約10分
       (三重生神社より徒歩約10分)

○ 彦主人御陵(王塚古墳)
   滋賀県高島市安曇川町田中
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        横山・田中線バスで約5分「馬場」下車、徒歩約17分
       (三重生神社より徒歩約15分)

○ 田中古墳群
   滋賀県高島市安曇川町田中
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        横山・田中線バスで約5分「馬場」下車、徒歩約22分
       (彦主人御陵より徒歩約5分)

○ 安閑神社
   滋賀県高島市安曇川町三尾里362−2
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より徒歩約10分

○ 胞衣塚
   滋賀県高島市安曇川三尾里
   電:0740−33−7101(びわ湖高島観光協会)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        高島・安曇川線バスで約10分「三尾里」下車、徒歩約7分

○ 鴨稲荷山古墳
   滋賀県高島市鴨
   電:0740−36−1553(高島歴史民俗資料館)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        高島・安曇川線バスで約10分「宿鴨」下車、徒歩約5分

○ 高島歴史民俗資料館
   滋賀県高島市鴨2239
   電:0740−36−1553(高島歴史民俗資料館)
   アクセス:JR湖西線「安曇川駅」より
        高島・安曇川線バスで約10分「宿鴨」下車、徒歩約2分

○ 樟葉宮跡の杜
   枚方市樟葉野田2丁目
   アクセス:京阪電鉄「樟葉駅」より京阪宇治交通バスで約15分「長沢」下車、徒歩約5分

○ 筒城宮
   京都府京田辺市多々羅都谷1
   アクセス:近鉄京都線「興戸(ごうと)」駅下車、徒歩約15分、同志社大学構内

○ 乙訓寺
   京都府長岡京市今里3-14-7
   アクセス:阪急京都線「長岡天神駅」より徒歩約20分

○ 磐余玉穂宮・稚桜神社
   奈良県桜井市池之内
   アクセス:近鉄大阪線「大福駅」より徒歩約25分

○ いましろ 大王の杜公園
   高槻市郡家新町48-8
   電:072−682−0820
   アクセス:JR京都線「摂津富田駅」より
        高槻市営バス「今塚古墳前」下車、徒歩すぐ
       (公園内に今城塚古墳、公園に隣接して今城塚古代歴史館)

○ 三嶋藍野陵(太田茶臼山古墳)
   大阪府茨木市太田3丁目
   電:072−620−1620(茨木市商工労政課)
   アクセス:阪急電鉄京都線「茨木駅」より近鉄バス「太田」下車、徒歩約5分

○ 史跡新池ハニワ工場公園
   大阪府高槻市上土室1丁目
   電:072-695-8274
   アクセス:JR京都線「摂津富田駅」より高槻市営バス「上土室」下車、徒歩約5分

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