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ホーム | なにわ大坂をつくった100人 | 第18話 木村蒹葭堂
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第18話 木村蒹葭堂きむらけんかどう(1736-1802年)

なにわの知の巨人

元文元年(1736)、大阪北堀江瓶橋北詰めの酒造家の息子として生まれた。通称坪井屋吉衛門、名は孔恭(こうきょう)、字は世粛(せいしゅく)、号を巽斎(そんさい)という。邸内に井戸を掘っていた折、古い葦の根が出てきたため、これこそ古歌で名高い浪速の葦であろうと大いに喜んで、自宅の書斎を「蒹葭堂」と名付け、号としても用いた。蒹葭とは葦の一種「ヒメヨシ」のことである。

幼児期は病弱で、父の導きで草木・花樹に親しんだことが、後の本草家、博物学者に繋がる。きわめて早熟で、5~6歳で画をはじめ、狩野派の大岡春卜、12歳で黄檗山の鶴亭に学ぶ。また11歳で片山北海に会い、漢学・詩文を学んだ。さらに、本草学を京の津島桂庵や小野蘭山に、画を池大雅に学んでいる。大阪を訪れるオランダのカピタン(商館長)と交流し、オランダ語やラテン語にも通じた。

蒹葭堂は15歳で本家の酒造業を継ぎ、酒造株を貸し付け生計を立てていたが、寛政元年(1789)、その借主が過剰生産をしたことが役人に知れ、蒹葭堂は謹慎を命じられる。しかし、増山雪斎(伊勢長島藩第5代藩主で画家の増山正賢。雪斎は号)の配慮で、所領・伊勢国長島の川尻村で数年田舎住まいをした後、船場呉服町に戻り文具商を営む。

その間、宝暦6年(1756)に21歳で森示子と結婚。妻妾同居し、長崎への旅行にも妻妾同伴している。なお、蒹葭堂の祖(7代前)は、大坂夏の陣(1615)で討死した後藤又兵衛基次(1560~1615)である。


風流無双・好事の人

蒹葭堂は学者になることを欲せず、名誉や地位にも執着せず、芸術や学問は趣味だと公言し、豊かな経済力にものをいわせて書籍、書画、金石、器物、地図、古銭、動植物、美術装飾品などを買い漁った。しかし、これらの多種多様なコレクションを一人占めにすることはなく、だれにでも公開し貸し出した。

やがて全国から多くの学者、文人、好事家がひっきりなしに蒹葭堂宅を訪れるようになった。これらの来訪者については、蒹葭堂44歳の安永8年(1779)から67歳で亡くなる享和2年(1802)までの24年間のうち、18年分が5冊の『蒹葭堂日記』に記されているが、その交友範囲の広さには驚く。増山雪斎、松浦静山らの大名、田能村竹田、池大雅、与謝蕪村、丸山応挙、伊藤若冲、谷文晁らの画家、中井竹山、頼春水、頼山陽、上田秋成、本居宣長、橋本宗吉、大槻玄沢、杉田玄白らの学者が含まれる。

著書も多く、『桜譜』、『禽譜』、『貝譜』、『銅器由来私記』、『本草綱目解』、『一角纂考』、『蒹葭堂日記』などがある。

片山北海を盟主に大阪で結成された詩文結社、混沌社(こんとんしゃ)(=混沌詩社)は、蒹葭堂を中心とした蒹葭堂会が発展したもので、懐徳堂、泊園書院と並ぶ当時の大阪有数の学問所であった。淀橋横町にあった北海の居宅「孤松館」で開催された。


蒹葭堂ゆかりの地

生家跡として、大阪市立中央図書館南東角に顕彰碑があるが、実際の屋敷は、浪速北堀江5丁目瓶橋北詰西入ル北側(現在の西区北堀江4丁目・シティタワー北堀江辺り)にあった。雑誌『大阪春秋』20号(昭和54年(1979))の記事『木村蒹葭堂邸跡周辺と市立図書館』(古西義麿)に、屋敷の周辺図と写真が掲載されており、近隣に、土佐藩蔵屋敷跡と土佐稲荷神社がある。

墓所は天王寺区餌差町の浄土宗「大応寺」。墓碑の揮毫、墓碑側面の顕彰文は伊勢長島城主・増山雪斎の手になるものである。昭和18年(1943)1月24日、同寺において143回忌「蒹葭堂追遠忌法要」が蒹葭堂研究会主催で営まれ、研究者、コレクターなど75名が参拝した。さらに、同寺で「木村蒹葭堂遺著・遺墨並関係書」展を開催し、展示品65点を記載した目録が発行された。

現在、大阪市浪速区の高島屋東別館3F資料室には、「木村巽斎125年祭記念・蒹葭堂遺墨遺品展覧会」(高島屋呉服店蒹葭堂会主催、大正15年(1926)11月23日~29日、南区長堀橋南詰め[元丸善石油ビル])の出品目録、新聞記事が所蔵されている。蒹葭堂会には、当時の大阪市長・関一も参加した。

昭和44年(1969)1月、京都大学理学部地質学鉱物学教室から、戦時中に戦火を逃れるため関係者が預託したものと推定される鉱物・貝類の標本が、日本地学研究会館館長・益富寿之助氏のもとに届けられた。益富氏は、これを蒹葭堂のコレクション「木村蒹葭堂貝石(ばいせき)標本」と認定し、大阪市立自然史博物館に収蔵されるのが妥当と判断し寄贈した。奇石と貝類は別々の重箱に保存され、奇石は6段重ねで175種の鉱物、岩石、化石などを含む。また貝類は600種近く、7段の重箱で北欧産や南方産のものも含まれている。貝類は、源氏物語や三十六歌仙、十二支などに因んで編集されている。


エピソード

  • 『木村蒹葭堂のサロン』の著者・中村真一郎と蒹葭堂の耳の形がそっくりと、真一郎夫人は語っている。
  • 酒造業には直接手を下していないようだが「蜜柑酒」なるものをつくり、中国人に賞讃されている。
  • 長崎から大阪へコーヒーを伝えたのは木村蒹葭堂である。
  • 木内石亭は、蒹葭堂と同時代の奇石コレクター。津島桂庵の同門下で、著書に『雲根志』がある。奇石のコレクションは2,000種に及び、遺品およびコレクションの一部は大阪大学博物館にて展示されている(同大学理学部の収蔵品)。
  • 2016年5月

    (江並一嘉)



    ≪参考文献≫
     ・大阪歴史博物館編『木村蒹葭堂 没後200年記念 なには知の巨人』
                   (思文閣出版2003)(展覧会の図録)
     ・蒹葭堂日記刊行会『蒹葭堂日記』(中尾松泉堂書店・1972年)
     ・『木村蒹葭堂貝石標本』大阪市立自然史博物館収蔵資料目録第14集
                 江戸時代中期の博物コレクション(1982年)
     ・中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』(新潮社・2000年)
      ※中村真一郎の3冊のライフワーク、『頼山陽の時代』『蠣崎波響の生涯』
       『木村蒹葭堂のサロン』の最後の作で絶筆となった。
     ・芥川龍之介『僻見』
      ※中村真一郎の上記書執筆のきっかけとなった随筆集。斎藤茂吉、
       岩見重太郎、大久保湖州、木村蒹葭堂らの4人記載
     ・水田紀久『水の中央にあり 木村蒹葭堂研究』(岩波書店)
      ※蒹葭堂研究の第一人者である筆者の論文集。「水」は「浪華」のこと
       「天下の貨7分は浪華にあり、浪華の貨7分は舟中にあり」「水は浪
        華の命であり水のさがはその文化風土の醸成と浪華びとの気質形成
        にふかくかかわっている」―本文中より
     ・『上方』第146号/蒹葭堂号(特集)(1943年)



    ≪施設情報≫
    ○ 大阪市立中央図書館
       大阪市西区北堀江4−3−2
       電:06−6539−3300
       アクセス:地下鉄千日前線、長堀鶴見緑地線「西長堀」駅下車7号出口すぐ

    ○ 大応寺
       大阪市天王寺区餌差町3−15
       電:06−6761−7001
       アクセス:大阪環状線、地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」駅から徒歩8分
           大阪環状線、近鉄大阪線、地下鉄千日前線「鶴橋」駅から徒歩9分
           近鉄難波線、近鉄大阪線「上本町」駅から徒歩10分

    ○ 高島屋史料館(高島屋東別館 南側入口3階)
       大阪市浪速区日本橋3−5−25
       電:06−6632−9102
       アクセス:南海電鉄、地下鉄御堂筋線「なんば」駅から徒歩約10分
           近鉄奈良線、地下鉄堺筋線「日本橋」駅から徒歩約8分

    ○ 大阪市立自然史博物館
       大阪市東住吉区長居公園1−23
       電:06−6697−6221
       アクセス:地下鉄御堂筋線「長居」駅から東へ約800m
           JR阪和線「長居」駅東出口から東へ約1km

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