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大阪の今を紹介! OSAKA 文化力|関西・大阪21世紀協会

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こんなに知らなかった!なにわ大坂をつくった100人

第32話 米澤彦八よねざわひこはち(?-1714年)

物真似で大当たり! これぞ上方落語の祖なり

上方落語の祖とも呼ばれる人物で、江戸中期に活躍した落語家。当時、隆盛だったのは江戸の落語で、それも参勤交代で訪れた諸大名を笑わせる権力者相手の芸が中心であったという。

一方、大坂では庶民を相手にした上方落語が起こりつつあった。その起点となったのが、大阪上本町にある生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)。宝永・正徳年間(1704〜1715)に、生國魂神社の境内では、諸国から大勢の芸人たちが集い、道々で太平記読み、芝能(しばのう:芝生の上で演じる能楽)、万歳、人形操りなどの芸を披露していた。その中で注目を集めたのが、米澤彦八であった。「当世仕方物真似」の看板をかかげて、大名行列の大名や芝居役者の物真似芸、オチに重点を置いた小気味良い小噺などで、聴衆を大いに笑わせたという。公家や大名の振舞いを笑いにする芸風は、江戸とは違い町人の町である大阪らしい活力に満ちて、たちまちのうちに評判となった。生國魂神社の名物芸人として大いに有名になったようで、当時の江戸、京都、大阪の風俗を描いた『鳥羽絵三国志』では、「ひょうばんの大名ゝゝ」と大名物真似をする米澤彦八の姿が描かれたり、近松門左衛門の『曽根崎心中』でも作中人物が米澤彦八の物真似を見に行ったりするほどである。また、『軽口御前男』『軽口大矢数(かるくちおおやかず)』『祇園景清』などの軽口本集も刊行している。

その名声は関西だけでなく、名古屋の興行師の喜太郎の目にも止まり、大々的に興行をうとうとしたが、ほどなく旅先で米澤彦八はあっけなく急死してしまう。彦八の名前は落語家の代名詞ともなり、明治、大正の頃までは旅芸人のことを「ヒコハチ」と言う風習が残っていたという。

米澤彦八に触発されて、その後も生國魂神社では名人と呼ばれる芸能者を輩出し、上方落語隆盛の礎を築いた。米澤彦八の名は、その後4代に渡って襲名された。特に2代目は、京都で三味線や小道具を使った辻話が有名で、軽口本集『軽口福おとし』『軽口耳過宝』などを出版した。また、今では毎年9月に生國魂神社において「彦八まつり」を開催し、在りし日の米澤彦八の姿とかつての境内の賑わいを偲ばせている。


「いくたまさん」と愛称される芸能の「神さん」

「いくたまさん」は、神武天皇が祀ったという生島足島(いくしまたるしま)の神を祭神とする古社。境内には、浄瑠璃に貢献した人物を祀る浄瑠璃神社があり、井原西鶴が俳諧興行を2回にわたって行うなど、芸能、芸術と縁が深いことで知られている。この地で米澤彦八は、「当世仕方物真似」という看板を出して、木戸銭をとり、物真似をして笑いをとっていた。これが、大阪の俄(にわか)の原型となったといわれている。他にも織田作之助が幼少時に遊んだという逸話があり、その銅像も建立されている。

落語などの伝統芸能に従事していると思われる着物姿の参拝客も多く、真摯に手をあわせる姿に、江戸時代に活躍した米澤彦八らの偉大さの一部を垣間見る思いだった。


「彦八の碑がないのは、なにわっ子の恥や ! 」

昭和の時代になって、5代目および6代目の笑福亭松鶴らが、石碑建立に奔走したのが契機だった。特に6代目は「大阪に米澤彦八の碑がないのは、なにわっ子の恥や」を口癖にしていたほどだった。彼は、戦後の上方落語の復興に尽力した噺家で、米澤彦八の傑作噺『有馬小便』を伝えた唯一の人物でもあった。残念ながら両人の生前のうちには石碑の建立はならなかったが、弟子の笑福亭仁鶴を筆頭とする一門が故人の遺志を引き継いだ。平成2年(1990)、6代目松鶴の5年忌に際して、生國魂神社境内にかつての米澤彦八の盛名をしのぶかのような立派な石碑が建立された。ちなみに石碑の題字は笑福亭仁鶴によるものだ。

また、この石碑の建立をきっかけに、翌平成3年(1991)から、上方落語の象徴として一般に広くアピールし、伝統芸能である落語のさらなる発展と後世への継承を目的として、生國魂神社の境内で「彦八まつり」という落語イベントが行われている。


上方の噺家が大盤振る舞い ! 「彦八まつりでっせぇ−」

「彦八まつり」は、6代目松鶴(1918〜1986)の命日が9月5日であることにちなみ、毎年9月の第1土曜日・日曜日に開催されている。平成26年(2014)には、米澤彦八が作り6代目松鶴が伝えた『有馬小便』を、笑福亭枝鶴が見事に口演。有馬の湯治場に、小便屋なる奇妙な商いを思いついた男の顛末を語ったもので、会場の爆笑を誘うオチは、あるいは往年の彦八を彷彿とさせるものだったかもしれない。こうした奉納落語会のほか、境内には多くの屋台やさまざまなイベントも行われ、生國魂神社はかつて米澤彦八が活躍した当時のような賑わいに包まれる。「彦八くん」なる、米澤彦八を模したゆるキャラも登場して、訪れたお客を楽しませるが、やはり醍醐味は落語家と生で触れ合えることだ。落語家おもしろ屋台では、落語や噺家にちなんだ料理や商品を販売している。実際に落語家自らが販売や調理、呼び込みなどをしているのもこのイベントならでは光景だ。五代目桂文枝が弟子に振舞ったという焼きうどんなど、ここでしか食べられないという逸品も多い。

米澤彦八の碑の横では、ステージが組まれ素人演芸バトルなどが開かれる。特に素人演芸バトルは、毎回出場の名物参加者などもおり、お笑いの本場・関西のレベルの高さを実感させてくれる。

また、参集殿では昼と夜に奉納落語会を開催。実際に米澤彦八が活躍した時代の古典などを、実力派の落語家たちが演じることで人気となっている。平成26年(2014)に桂福団治によって上演された『景清』も、米澤彦八と縁の深い演目だ。彦八の『祇園景清』という作品が原型で、彦八作品集の『軽口大矢数』という文書にも記録がある。盲目となった主人公が、眼病治癒のために清水寺へと参拝する内容を、軽妙な話芸で笑いを誘いながら展開する。最後は百日願掛けのかいもなく、願いが叶わずに観音様に悪態をつく。しかし、母への孝行に心打たれた観音様が、主人公の目を快癒させるというものだ。笑いはもちろんのこと人情にも訴える内容は、米澤彦八が上方落語の祖と言われる所以だろうか。

平成26年(2014)は、土曜日には雨が降るあいにくの天気だったが、訪れる客たちの熱気は衰えることがなかった。屋根のないステージではイベントが開催されている。見物客に話を聞くと、「きっと、米澤彦八が活躍していた当時もこんな日があったのではないか」と、嬉しそうに語っている顔が印象的であった。


2016年9月

(木下昌輝)



≪施設・催事情報≫
○ 生國魂神社
   大阪市天王寺区生玉町13−9
   電:06−6771−0002
   アクセス:地下鉄谷町線、千日前線「谷町九丁目」駅より徒歩約4分
       近鉄「上本町」駅より徒歩約9分
       JR「天王寺」「なんば」「鶴橋」各駅より徒歩約20分

○ 彦八まつり
   大阪市天王寺区生玉町13-9 生國魂神社境内
   上方落語協会会館 彦八まつり実行委員会
   電:06−6354−7727
   入場無料
     (奉納落語会は入場志納金2,500円以上、内500円は義援金に充てられます)

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