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こんなに知らなかった!なにわ大坂をつくった100人

第37話 木村重成きむらしげなり(1593-1615年)

秀頼に近侍した美丈夫の勇将

平成27年(2015)年は「大坂夏の陣」の400周年にあたり、この戦で没した武将たちは400年忌を迎えた。豊臣方の若き勇将・木村重成もその一人である。

重成の父は豊臣秀次の家老で秀次謀反の事件に連座して自害した木村常陸介重茲(ひたちのすけしげとし:養子説もある)、母は豊臣秀頼の乳母の一人右京大夫局で、佐土原藩(現宮崎市佐土原八日町)で生まれた。幼名は春千代。13歳で秀頼に召され、「重成」の名を授かるとともに、刀一振りと1500石の墨付きを得る。以来、秀頼に近侍して小姓を務め、元服後は3千石を拝領して長門守(木村長州)と称した。

色白の美丈夫で、たぐい稀な気品を備え、剣術、槍術、馬術に長けた武将に成長した重成は、秀頼四天王(真田信繁、後藤基次、長宗我部盛親)の一人として大坂冬の陣(慶長19年(1614))で初陣を飾り、徳川方の佐竹義宣や上杉景勝らの軍勢に対し戦功をあげた(今福の戦い)。冬の陣の後、徳川との和睦のため23歳の重成が大坂方を代表して家康と直談判し、その時誓書に押された家康の血判が薄いとして、もう一度押し直させたと伝えられている。


敵将も賞賛した重成の決意

大坂冬の陣の後、徳川家康は大坂城本丸を残し、二の丸、三の丸の櫓や石垣まで破壊し、堀を埋めてしまった。そのため大坂夏の陣(慶長20年(1615))で豊臣方は、籠城は困難と見て城を出、徳川勢が陣容を整える前に打ち砕く作戦をとった。同年4月29日、大坂泉南樫井で合戦の火ぶたが切られ、5月6日には、八尾で豊臣方の長宗我部部隊(5千人)が徳川方先鋒の藤堂高虎隊(5千人)と激突。同日、重成も4,700兵を率い、東高野街道を南下して道明寺方面へ進出を企てる関東の主力部隊およそ12万兵を側面から攻撃して大打撃を与えるべく出陣した。明け方に若江(現在の東大阪市若江本町周辺)に着陣。徳川方の井伊直方隊(3,500人)と「若江の戦い」と呼ばれる大激戦を展開したが、重成は井伊家の家老・庵原助右衛門に打ち取られてしまう。重成の首を検分した徳川家康は、兜に香をたきしめていたこと、兜の忍び緒を真結びにして端を切って二度と脱がない覚悟であったことを知り、敵ながらその勇将ぶりを賞賛した。

樫井、八尾、若江などでの合戦を展開した大坂夏の陣では、大坂方の有名武将がことごとく討死。5月7日、ついに大坂城は火炎に包まれ落城した。


重成の首と血染めのススキ

重成の首は井伊家の家臣・安藤長三郎重勝が戦果として貰い受け、ススキにくるんで菩提寺である宗安寺(そうあんじ:滋賀県彦根市)に持ち帰った。重勝は懇ろに弔って同寺の墓地に埋葬し、先祖の墓と並べて五輪の塔を立てて供養した。この時、首をくるんでいたススキが当地に根付き、毎年赤く染まることから、「血染めのススキ」と呼ばれている。

ちなみに宗安寺は彦根藩における徳川家康の位牌奉安所で、毎年藩主自ら参拝していた。朝鮮通信使の宿舎にも指定され、江戸時代を通じ10回にわたり上使、副使、従事官の3役の宿泊施設となった。明治5年(1872)、廃藩置県後の犬上県庁が一時所在した名刹である。


熱愛の果ての悲劇

重成の妻・青柳は、真野備後守頼包(よりかね)の娘、大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)の姪で、美貌と聡明さで知られた。重成に一目惚れし、「恋侘びて 絶ゆる命は さもあらはあれ さても哀という人もがな」の歌をおくり、重成は「冬枯れの 柳は人の 心をも 春待ちてこそ 結び留むらめ」と返して、大坂夏の陣の年の初めに夫婦となった。

青柳は大坂夏の陣で夫の最後の出陣に当たり、覚悟を決めて兜に香をたきしめて送り出す。重成が戦死した際には、青柳のお腹に重成の子が宿っていた。そして匿われて男児を出産した後、尼となり重成の一周忌を終えた後に自害し、20年の生涯をとじた。一方、夫の出陣に先立って後顧の憂いがないように自害したとの説や、二人の室がいたという説もある。


重成ゆかりの地を訪ねて

 重成最期の地

大坂夏の陣(若江の戦い)に出陣した重成は、当地の「若江の堤」辺りで最期を遂げたといわれている。近鉄奈良線「若江岩田」駅から岩田本通り商店街を南へ抜けたあたりであるが、すでに市街地化されており、その痕跡すら見ることはできない。東大阪観光協会のまち歩き資料『東大阪ええトコマップ』にも、「推定若江堤」と記されている。また、司馬遼太郎の短編小説『若江堤の霧』に当時のようすが描かれている。


 重成の墓所と「無念まいり」

重成の墓は、八尾市幸町の木村公園の中にある。明和2年(1765)、重成の150回忌に際し、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫にあたる彦根藩士・安藤次輝によって建立され、重成の尊崇者からは「無念塚」と呼ばれている。文政8年(1825)頃、夜半に大坂市内を出て、途中もみあいながら「無念じゃ、無念じゃ」と叫びながら明け方に参る「無念詣り」が行われたといわれている。


 重成の銅像(現在は石像)

東大阪市若江南にある蓮城寺の近く、現・馬場家当主の5代前で若江村の村長を務めた人が、「木村重成陣屋跡」と想定される自家敷地内に銅像を建てた。この近くに筆者(江並)の祖母の実家があり、国民学校低学年の頃、何度が父親に連れられて銅像にお参りした記憶がある。銅像は戦時中に徴発されたが、現在は石像となって残っている。蓮城寺の笹川住職によれば、この石像を同寺内に移転する話が持ち上がっているそうである。

蓮城寺は、重成の戦死により、重成の叔父の蓮性院日相上人が京都から若江に出て創建したものである。平成27年(2015)は、大坂夏の陣400周年で団体の参拝者も訪れた。大阪城天守閣館長の北川央氏は、同寺の「木村長門守重成公位牌堂」で清正公の紋所を確認している。というのも、この位牌堂は、明治中期、加藤清正公堂を九州より解体、運搬、再建したものと伝えられている。重成の位牌は隣りの「若江鏡神社」からもたらされたもので、妻・青柳の位牌は、蓮城寺で日蓮宗の方式に則り作られたものである。


 木村通り

重成の銅像や蓮城寺が面する近鉄若江岩田駅に通じる河内街道の一部は、「木村通り」と名付けられ、地域の人たちに親しまれている。この他、重成にちなむものとして、「木村橋」や「木村公園」(八尾市内)がある。


 若江城跡

8代将軍足利義政の重臣・畠山守護代の居城。当地は古代より交通の要衝にあり、河内国の政治的中心地であった。11年間続いた石山合戦における織田信長の本願寺攻撃の拠点とされているが、重成とは直接関係なかった模様である。


 敵将・山口重信の墓

徳川方の武将山口重信は、大坂夏の陣「若江の戦い(1615年5月6日)」で、豊臣方の武将木村重成と戦い、両将とも当地で討死した。当初、両将の墓は寝屋川・木村橋をはさんで対峙していたが、後日、重成の墓は河川改修のため現在の地に移転された。一方、山口重信の墓は若江南墓地内に現存する。林羅山の文章が石川丈山の篆刻により刻まれた立派な墓である。


 「木村重成表忠碑」

九代目市川団十郎の弟子市川新蔵が眼病で再起できぬと知らされたとき、「生涯の思い出に『重成血判状』という芝居をやらせてください」と懇願し、公演を成功させた。第6代大阪府知事西村捨三がこれを観て感激し、自ら発起人となって明治29年(1896)に建立したのが「木村重成表忠碑」である。場所は、中之島公園内の大阪市立東洋陶磁美術館に隣接したところ。かつてこの地にあった豊国神社内に建立されたものであったが、5メートルを超す巨石のためか、神社が大坂城内へ移転した際にここに残された。


2016年9月

(江並一嘉)



≪参考文献≫
 ・上井 榊(じょういさかき)『少年講談 木村重成』育英出版 昭和24年(1949)4月25日
 ・司馬遼太郎『若江堤の霧』(講談社文庫短編集『おれは権現』に所収)
 ・福本日南『大阪城の七将星』東洋書院
 ・藤井直正『東大阪の歴史』松籟社
 ・中央文化研究会『木村重成関係資料の調査』昭和16年(1941)7月
 ・西山全太郎『贈正四位 木村長門守重成』大正14年(1925)1月20日
    *摂政の宮殿下御成婚に際し木村重成に正四位を追贈さる
 ・邦光史郎『カラーで読む 大阪冬の陣夏の陣』PHP出版所 昭和58年(1983)8月26日
 ・岡本良一『大阪冬の陣夏の陣』筑摩書房 昭和39年(1964)6月30日
 ・西岡まさ子『木村重成の妻―戦国版妻の鑑―』「(松籟社『大阪の女たち』1982年に所収)
 ・大阪府立中央図書館企画展『大坂の陣400年』
   平成7年(1995)6月12日~9月9日(展示場所 同図書館1階「企画展示エリア」展示内容
   関連書籍463点(内木村重成関連は3点) 資料リストあり)



≪施設情報≫
○ 蓮城寺(木村重成矦霊牌所)
   大阪府東大阪市若江南町2-3-7
   電:06−6721−6183
   アクセス:近鉄バス「若江南」より徒歩4分
       近鉄奈良線「若江岩田駅」より徒歩20分

○ 宗安寺
   滋賀県彦根市本町2−3−7
   電:0749−22−0801
   アクセス:JR琵琶湖線 「彦根」駅下車 徒歩 20分

○ 木村公園(木村重成の墓)
   大阪府八尾市幸町6丁目
   アクセス:近鉄「八尾」駅から徒歩約30分
       近鉄バス「西郡新町」から徒歩約5分

○ 若江城跡
   大阪府東大阪市若江南2−9−2
   アクセス:近鉄奈良線「若江岩田」駅より徒歩15分

○ 若江南墓地(山口重信の墓)
   大阪府東大阪市若江東6 丁目
   アクセス:近鉄奈良線「若江岩田」駅下車、近鉄バス「近鉄八尾駅前」行で
         「若江南」下車、河内街道を南へ、第2寝屋川の橋の手前を東へ約100m

○ 木村重成表忠碑(大阪市立東洋陶磁美術館に隣接)
   大阪市北区中之島1-1-26
   アクセス:京阪中之島線「なにわ橋駅」1号出口すぐ
       地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋駅」1号出口
       地下鉄堺筋線・京阪本線「北浜駅」26号出口から約400m
                           (大阪市中央公会堂東側)

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